桑名城は、現在、九華公園として市民に親しまれています。
桜の時期には
花見で賑わいます。
九華とは「くはな」=「くわな」の意味です。
桑名城は、かつては四層六階の天守閣と95の櫓、63の城門があった大城郭でした。
11万石の譜代大名が入ったお城でした。
九華公園の図面です。
堀は残っていますが、旧城の縄張りとは微妙に違っています。
しかし、城跡という
イメージはありません。
ほとんど旧城地が公園として残るにもかかわらずです。
公園化されて残る城としては珍しいです。
堀跡は比較的よく残っているにもかかわらずです。
一番の原因は
石垣が明治時代に
四日市港のため全て取り払われたためです。
これも桑名藩が幕末に佐幕派だったために新政府に睨まれたためでしょうか。
公園内には旧石垣の石かと思われる石が時々みられます。
神戸櫓跡です。
神戸櫓は神戸城の天守閣を移した物です。
三層櫓でした。
天守閣が隅櫓だったことでも桑名城の大きさ立派さがわかります。
かつての他の城の天守を櫓とした城には
熊本城、
福山城、
岡山城などがあります。
説明です。
本丸の拡大図です。
天守閣を始め多くの櫓がありました。
四重の天守閣、
三重櫓が4つ、二重櫓が2つ、枡形門が2つ、更に多聞櫓が巡っています。
外様大名の熊本城などでは三重櫓が乱立する城はありますが、譜代大名の城では珍しいです。
他には、吉田城くらいでしょうか。
これだけの城が残っていたらと思うと残念です。
辰巳櫓跡です。
天守閣は元禄14年に焼失すると再建されませんでした。
そのかわりにこの辰巳櫓が天守閣の代わりを務めました。
明治維新の際には降伏の証としてこの辰巳櫓は焼き討ちに遭いました。
新政府軍の桑名藩に対する恨みを感じます。
辰巳櫓の説明です。
三重櫓でした。
なぜか辰巳櫓の跡には大砲が鎮座しています。
天守台の跡です。
石垣がもっともらしく積んでありますが、まったくのニセモノです。
後世に天守台の破壊を惜しんだ人が石を並べたようです。
石垣の石はかなり大きいです。
でもよく見ると石の矢穴がドリルで掘ったようにきれいです。
これをみてもこの石が新しいことがわかります。
桑名城でかつての石垣を見ることができる三之丸です。
堀が水路となって残っています。
桑名は、いつも通り過ぎるんですよね〜
今度ゆっくり行ってみたいです!^^
オフ会・・・・参加してみませんか?
きっと楽しいですよ〜〜♪^^
by hatumi30331 (2012-02-10 22:10)
やっぱりいろいろ
残っているのですね。
by pandan (2012-02-11 07:06)
九華公園がかつて城跡だったとはなかなか想像できませんね。
本多忠勝の像も微妙な位置にありますね。。。^^
by susumu (2012-02-11 13:41)
石垣の石は凄く大きいでしょうね。
水路も残ってるんでしょう。
by ryuyokaonhachioj (2012-02-11 14:11)
母の実家が近鉄桑名線沿いでしたので、桑名と言う言葉に懐かしさを感じています。
by ヨッシーパパ (2012-02-11 19:03)
11万石でそれだけの城を維持するのは大変だったでしょうね。
東海道の宿場で物流の拠点、という土地柄が役立ったのでしょうか。
by ナツパパ (2012-02-12 15:47)