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西尾市資料館企画展 西尾の中世城館 再び訪問 [歴史雑話]

安城市に来たついでに、西尾市資料館で開催されている「西尾の中世城館-わが町と城館」を再度見てきました。

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資料館は西尾城姫丸跡に建てられています。

外観はお城風です。

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寺部城の立体模型です。

屋敷と詰の城の関係がよくわかります。
根小屋式の城館でした。

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同時開催として「お城グッズ展」を開催していました。

入場券の数々。

全国のお城の入場券がありました。
北は五稜郭から南は首里城まで。

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こちらは名古屋城グッズです。

西尾でどうして名古屋城?なのかというと、名古屋城の石垣は西尾市東幡豆町の山から切り出したそうです。
西尾市と名古屋城は所縁があるのですね。

前回より新しいグッズが増えていました。
展示替えもあるのかな。

お城好きにはお勧めの企画展です。
図録も500円で販売していました。

西尾市資料館
愛知県西尾市錦城町229
℡0563-56-6191


本証寺展 [歴史雑話]

安城歴史博物館で本証寺展を開催中です。
本証寺を見たついでに見学してきました。

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本証寺の堀の範囲を発掘調査などの成果で示したものです。

東西320メートル、南北310メートルに及びます。
かなり広い範囲です。

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法然上人像です。

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聖徳太子立像です。

太子16歳のときの像と言われます。

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壁に本証寺の堀の断面図が書かれていました。
近くで見るとその大きさに圧倒されます。

深さ3.5メートルほどの薬研堀でした。

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発掘で出た遺物です。

寺内の鍛冶遺構です。
寺内で鍛冶を行っていたことがわかります。

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伊奈忠次絵図証文です。

慶長6年のものです。

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鴛香炉です。

青銅器製です。

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明治年間の本証寺の絵図です。

明治期の様子がわかります。

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甲冑体験も博物館で行われていました。
その時の背景の絵です。

お城が描かれていますが、勝山城、唐津城、西尾城、広島城(門)が合成されています。
なかなかすごい城になっています。


安城市歴史博物館
愛知県安城市安城町城堀30
℡056-77-6655


二つあった桶狭間古戦場 愛知県名古屋市緑区編 その2 [歴史雑話]

桶狭間古戦場 名古屋市編の続きです。

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古戦場周辺地図です。

公園は怪しさ一杯ですが、周囲の史跡はそれなりに由緒があります。

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瀬名氏の陣所です。

瀬名氏の軍勢200名が陣を構えたと伝えられます。

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セナ薮と呼ばれていました。
正面の小山でしょうか。

東西15メートル、南北38メートルの規模だったそうです。

昭和61年の堤防工事によりほとんど取り壊されてしまったそうです。
現在は竹薮がわずかに残るだけです。

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石碑です。

瀬名伊予守氏俊陣と刻まれています。

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信長がこの近くで首実験を行い、首の処理を村人に命じました。

村人は7つの穴を50メートル間隔に掘って埋葬しました。

手厚く埋葬されましたが、区画整理によりここに集められました。

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七つ塚です。

住宅の庭先のような奥まった非常にわかりにくい場所にあります。

でも、付近には何箇所が表示が出ているので、だいたいこの付近とわかっていれば見つけ出すことはできます。

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おけはざま山です。

今回一番びっくりしたのはこの桶狭間山の表示です。

今川義元本陣とも記されています。

『信長公記』は「今川義元は4万5千引率し、おけはざま山に人馬の息を休めこれあり」とあり、おけはざま山に休息していたことがわかります。

しかし、このおけはざま山の場所が不明でした。

碑の建っている場所は確かに高台ですが、上まで住宅が建ち、山という雰囲気は今はありません。

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説明です。

かつては現在より8メートル高い山でしたとありますが、そもそもここが本当におけはざま山という山だったという確証はありません。

現在は開発により地形も変わってしまっていますが、これほど有名な古戦場の山の名前が伝えられていないことも考えてみれば不思議なことです。

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戦評の松です。

瀬名伊予守が武将を集めて会議を開いた場所です。

今川義元ではないところがみそです。

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碑です。

松は枯れてしまったので、現在は二代目が植えられています。

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長福寺です。

お寺は碑の奥です。

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同じく桶狭間古戦場由緒地の碑です。

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首検証跡です。
長福寺境内の杉の木の下にあります。

今川氏の林阿弥が織田氏に捕らえられて今川軍の首実験をしたといわれています。

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長福寺の弁天池です。

刀濯ぎの池とも言われています。
この池で武将が血で汚れた刀を洗ったといわれます。

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長福寺の供養塔です。
こちらは最近のものです。

長福寺には今川義元と松井宗信の像もあります。

このように名古屋市緑区の古戦場もいろいろと合戦に関係する史跡があります。


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桶狭間古戦場を巡った後で、名古屋駅の矢場とんでわらじかつ定食を食べました。

カツがわらじのように大きくて美味しかった。

二つあった桶狭間古戦場 愛知県名古屋市緑区編 その1 [歴史雑話]

もう一つの桶狭間古戦場です。

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名古屋市緑区にあります。
行政区が違うためちょっとした本家争いになっています。

今は公園になっています。
とは言っても最近整備したため、いかにもいろいろ作ったという感じです。

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今川義元首洗いの泉の看板です
昭和61年の区画整理まで清水が出ていたとあります。

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その泉です。

いかにも最近作りましたという感じです。

果たして本当にここで首を洗ったのか極めて怪しいです。

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今川義元戦死の地の石碑です。

これも新しそうです。

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駿公墓石です。

これは田楽坪の「ねづ塚」に埋まっていました。
昭和28年に偶然見つかったものです。
当時の人が敗軍の将を生めることをはばかり、ひっそりと埋葬したものだそうです。

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今川義元馬つなぎのねずの木です。

今川義元が田楽坪で馬に泉の水を飲ませるためにつないだ木といわれます。

田の中にねず塚と伝えられてきました。

この木に触ると熱病にかかると言い伝えられています。

そういえば、豊明にも同じような馬つなぎの木がありました。

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今川義元と織田信長の像です。

両雄があるのは珍しい。

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桶狭間古戦場田楽坪の碑です。

『日本中古治乱記』には桶狭間合戦の合戦地は桶狭間のうち田楽坪とあるため、古くから田楽坪と呼ばれていたこの地を古戦場としているようです。

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名古屋市教育委員会が建てた説明です。

豊明説とは真っ向勝負です。

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公園内にある説明です。

豊明と同じく地図や説明がありわかりやすくなっています。

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地図の拡大です。

豊明市の古戦場とはおけはざま山をはさんで反対にあることがわかります。

2つの古戦場の距離は直線で約1キロです。

今川軍の兵力は2万5千人と言われるように、合戦自体は広範囲で行われたので、どちらの場所も広い意味では古戦場でしょう。
ポイントとしては、今川義元が休憩していた本陣の場所はどこかと、今川義元が戦死した場所はどこかということでしょう。

名古屋市の古戦場公園はいかにも最近作りましたという公園で、それ自体は史跡としての価値はありません。
しかし、だからといって名古屋市の古戦場も全く眉唾ではありません。
それは、周囲に古戦場に関する史跡が伝承地が多くあるからです。
それについては、次回に紹介します。

(続く)

二つあった桶狭間古戦場 愛知県豊明市編 [歴史雑話]

永禄3年(1560)に織田信長が今川義元の大軍を討ち破った桶狭間合戦は教科書にもでているくらい有名ですね。
しかし、実はこの今川義元が戦死した場所というのは実は2ケ所説があるのです。

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こちらは豊明市にある桶狭間古戦場です。

公園になっています。

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石碑が建っています。

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公園の隣の高徳院です。

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ここには今川義元本陣跡の石碑が建っています。

以前は境内に古戦場の資料館もありましたが、今は閉鎖しているようです。

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高徳院の絵馬です。
古戦場らしいですね。

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古戦場の説明板です。

公園の案内と古戦場の案内が書かれています。

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拡大図です。

大高城、丸根砦、鷲津砦、鳴海城、桶狭間などの位置関係が分かりやすいです。

信長の進路が善照寺砦 → 中島砦 → 桶狭間というように分かりやすく表示されています。

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高徳院にある今川義元の墓碑です。

仏式の墓碑で、法名を刻んで建てられた供養塔です。

今川義元の300回忌にあたる万延元年に建てられました。
もう幕末に近い頃ですね。

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義元の墓碑の近くにあるお化け地蔵です。
古戦場らしくお化けが出たのでしょうか。

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古戦場の説明です。

ここが田楽狭間または館狭間と呼ばれていました。

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七石表と言われ、今川義元の戦死地を示す石碑です。
明和8年(1771)に尾張藩士人見弥右衛門らにより建てられました。

一号碑は今川義元の戦死した場所を示します。
二号碑は松井宗信戦死の場所を示します。
三号碑以下は義元の武将五人の戦死の場所ですが、氏名は不詳です。

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今川義元の墓です。

明治9年、名古屋市緑区有松の山口正義が建てたものです。

今川義元が鎧をかけた樹も残っています。

桶狭間古戦場の公園はそれほど広くはないのですが、ここには墓や碑などが所狭しと並んでいます。
こんなにも狭い範囲で戦死したのかと疑問にも感じますが、碑などは江戸時代に建てられたものなので、江戸時代にはここが古戦場と認識していたようです。

今でこそ、周りには住宅地になっていますが、昭和の頃には、近くに特殊な病院があり、一種独特の雰囲気をかもしだしていた場所でもありました。


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